Hunnigan, Sloane and Minchin

グランドミュージカルとか映画とか

「太平洋序曲」よどみなくよどみの中へ

日生劇場 3月11日 13:00 演出:マシュー・ホワイト

発表から楽しみにしていた初めてのソンドハイム作品。
まもなく初日というところで以前の日本上演とは違う1幕バージョンとの知らせが入り(だいぶ炎上して)3時間の大作を見る気分をなんとか切り替えての観劇になりました。
予習で音源を聞く段階で明らかに日本の話をしてるのに英語で居心地悪い…と理不尽な気分でいたので日本語訳詞で聞けるということだけでわりとわくわくしてきたんですけどね。

いざ…どうだったかというと、梅芸の海外演出作品の良さが爆発してました。
第一報からこういうものを楽しみにしてたんだなと心から思える、抑え目でいて想像力を試しゆさぶられる演出。全方向へ皮肉の強い脚本と語り尽くす音楽。日生劇場ではちょっと大きく感じるところもあれど大作のスケール感である必要もあるのでは…と思います。
以下、ネタバレありで行きます。

 

まず美しすぎる

開始直後から目を引くのは美術ですね。
美しすぎる。
担当がここに桂離宮を作ると決意したんだろうか。
上手奥の円形スクリーンも手前の枯山水が如き台も床から伸び大きな半円を描く板も、この舞台のイマジネーションに向き合わねばという気にさせられます。

…が、その中で描かれるものの多くはあまりにも無様な権力の右往左往とおぞましい暴力です。香山と妻たまての別れ惜しむ姿や香山と万次郎の俳句のやりとりなど個人の心が交わされるわずかなシーンを除いて、嘘やごまかし、脅しばかりが繰り広げられる。

思えば始まりは美術品を並べたギャラリーの場面でした。並べられ来客からしげしげ眺められる時代を越えてただ美しいもの。「美しい、という価値はどんなおぞましい来歴があろうと構わない。むしろ残っていない方が都合がよい」セットが冴え冴えと愚かさを描く舞台を活かすたびにそう皮肉を向けられているような気分になりました。

外からくるもの/内にあったもの

その美しい世界で核とも言える印象を感じたのが”暴力”でした。統制のために国を閉ざすことから始まり(「完全な平和」とはディストピアの物言いですよね)現れるアメリカの要求、とんちをきかせてまで取り合わない排他的意識、次々に現れる国々による蹂躙そして…。
この暴力の繰り返しの脇道となった存在も忘れてはいけません。ミュージカルに頻出する”娼婦の群舞シーン”のウェルカムトゥカナガワの娘たち、終盤ソンドハイムのたくみな音楽でしんどいシーンになっていたプリティレイディの少女には父の愛情のようでまた家父長制の強さも感じました。女性が何かを動かすことのない物語であることを自覚しながら国の内側にこそあった暴力を描き出して、無神経という気分にはなりませんでした。
「死んだ」という事実のみで出番を終える香山の”冷蔵庫の妻”たまてもいますね。あれが自殺なのか他殺なのか、なにか理由が読み取れるのかあすこはまったくわからなかったのですが、あれこそ壮絶に美しく飾り立てられて、この舞台における「女」の立ち位置の予言(と言っていいのか先に描かれる総括というか表現がない…)のようなイメージかなと思いました。これについては色々聞いてみたい。

逃げ場のない世界の

さて、この暴力の雪だるまの転がり果てて行く様、時流の読める(上様と同じ顔の)女将は娘を売り、読めない上様は選択を間違え続ける。にこやかに大砲を構える欧米列強が小さな上様(かわいいんだけどかわいいと感じることに暴力性が宿りさえする)に言い寄り奪い取って行く様がプリティレイディのシーンに重ね合わされ、流されていく香山はすんなりと洋装を纏い、万次郎は刀を選ぶ。おそらく元々の脚本の力と音楽が強いのでしょうが、もうこのあたりの流れが上手すぎて単純な見応えが凄かったです。(ただちょっと香山と万次郎のラストシーンは突然湿っぽくなりすぎてて止まってしまった感はあり)

そして最後に華々しいドラムの音と共にやってくる。権威は失墜し、内から外から数々の暴力が島国を席巻し、新しい世界を作るその時生まれる植民地主義の成した子供の姿。その口から出るおぞましい未来の予告。

 

恐ろしかったです。山本耕史さんの狂言回しの淀みない口ぶりの見事なこと。泣いてしまった。その不穏な演説を聞くのは2023年の服を着たギャラリーに集う人々ですが、あまり多様性のある集まりでもなくある種“強さ”のある人々のようだし、彼らが現れた冒頭を思い返すとその一員として客席は巻き込まれる感じがありました。(と言いつつここで演者を見すぎてスクリーン見れてなかったので大いに印象がズレてるところが多分あります。もう一回見たら追記するかも)

 

おわり

さて、幕末の描写に関しては「万次郎のことよく知らんけどこんな派手な人生だったらもっと有名になってるだろう」とか「徳川って言葉も出ないのにいきなり尊皇攘夷明治天皇とは」とか極度に解像度を落としている分終盤のしわ寄せが多少ありますね。それでも日本で、トンチキとバカ殿の狭間をギリギリ縫う世界を日本語で見られることに凄まじい満足がありました。またアメリカで生まれたこの演目自体を、2023年現在植民地主義の禍根についてを語られることの多いイギリスからもたらされた意味も考えていたいところです。