Hunnigan, Sloane and Minchin

グランドミュージカルとか映画とか

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」

楽しみにしてたドキュメンタリー、ありがたいことに都心まで行かずシネコンで見ること叶いました。楽しかったー。

 

医者になりたかった幼少期に父の指示で音楽院に入るところからアカデミー賞でのオスカー獲得までのほぼ全生涯を本人の口から語る2時間半。長いね。長いけど映画館の音響であの音楽を聴ける時間としては全然長くないです。

 

音楽院での師との関係、卒業後実験音楽に関わりポップスの編曲で成功し…の時点でものすごく楽しい。いかにインパクトある伴奏と装飾的なイントロがウケたか。そこから映画音楽に呼ばれるようになり古典音楽界からは散々に言われても大成功、西部劇がウケたらイタリア全ての西部劇の仕事が来るようになったと語る…。

ここでとても今後シネコンで見れそうもないマカロニウエスタンの映像が次から次へと流れて至福でした。(復讐のガンマンのトーマス・ミリアンには感謝しきりです。本当に飛び出してきた)

マカロニウエスタンで聞きたい話はもっとあるけど、話は先へ進みあらゆる映画の音楽を担当する姿を追います。オスカーに無視され続け一度は映画音楽を離れるも映画はエンニオを離さなかった…と生涯を語っておしまい。


天才の仕事がいかに並外れているか音楽に明るくない人間にもわかりやすく解説され創作の興奮を一緒に味わえるのが見どころだけれど、見終えて思うのはイタリア映画の豊饒さだったりします。トンデモなアクションやコメディが多いのも知っているけど、美意識を張り巡らせた作品が当たろうが当たらなかろうが無数に存在していてそれらが「作曲:エンニオ・モリコーネ」の名の元にでも残っている、という事実がなんとも幸福で羨ましく思うのでした。

 

モリコーネ渾身のワルキューレが聞ける「ミスターノーボディ」もシネコンで見れますように…。

「ヘアー(79年映画版)」

「Aquarius」「Let the sunshin in」などの名曲を持ちながら今日本でいまいち知名度のないミュージカルことヘアーの映画版がこのたび映画館でかかるということで行ってきました。

 

あらすじはここに。

「ヘアー」上映作品詳細 - 午前十時の映画祭12 デジタルで甦る永遠の名作

 

だいぶ変な作品だろうと覚悟していたのですが、冒頭の馬のダンス(まだCGなどない)に怯んだ後はミュージカル映画として想定されるくらいのぶっ飛び方で普通に見られました。
ラ・マンチャの男」等と同様ミュージカル映画も下火になった頃のMGM制作のミュージカル映画です。馬や車など舞台では使いにくい要素をふんだんに使い明るい外ロケ映像で具体化していく豪華なノウハウが楽しめる作品になっており、NYの景色の中で歩く人物たちは後年の映画版RENTを思いだしたり。
おそらく舞台にはないであろう乗馬シーンから始まるのが個人的にアガります。あとゴッドファーザー1/5くらいのパーティシーンも。その乗馬によって一見真面目な主人公クロードの人物造形が始まってるのもまた良さがあって、割と序盤から掴まれてました。(おそらく南西部のショースタイルの乗馬ですよね。スタントがやりすぎた雰囲気があったけど)群舞のシーンはちょっと変なんだけどまぁ…遅れてきたヒッピー映画なので大目に見て下さい。

ミュージカルとしては音楽の強さもいいです。ソウル、ファンクを取り入れたパワーナンバーが次から次へと…。Black boy/White boyの辺りは歌詞を皮肉な裏切り方の演出で見せるところが最高なんだけどあれは舞台もああなのか気になるところ。

 

さて、物語はすごく正直な反戦物語。パーティに乗り込んだりふざけたい放題かと思ったバーガーがクロードに明日はないことを常に思っているところ、またヒッピーたちの無責任さにも目を向けている部分が印象に残ります。
しかし…あんまりじゃないですか…あのオチ…。
終わり方については舞台とは改変されてるということも聞いていたのですが、あんな描写だとはまさか思わず…。結局MGMはヒッピー嫌いだったんだろうか…いやそういう時代だろうけど…あらぬ方向から抉られて終わりました。


>>少しネタバレ

身代わりになることは知っていて、バーガーさんが他人のために髪を切るのが美談のようになったら最悪だなと途中から思って見ていたんですがまさか事故だったなんて…。
最後のLet the sunshin inを聞くのを楽しみにしてたんですけども釈然としない気持ちで始まり即落ち2コマの墓標シーンがあり…ワシントンの集会が映ったのがせめてもの救いですね…。

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ただ反戦ものとしては機能してないわけではなく…そこがなんとも言えない気持ちになります。2023年の今の気分にはすごく合っていたし。アジア人女性のアップで進むシーンが79年にほかの映画で見られただろうか、など考えてもしまいます。

 

最後に、日本で見ることができた舞台版ヘアーですがは60年代ベトナム戦争リアルタイムの初演、80年代のPARCO版、そして2013年の来日版が主なプロダクションのようですね。

ヘアー (ミュージカル) - Wikipedia

何らかの形でまた見られるといいんですけどね…。「裸になる」という演出の制約がどれほどのものなのか次第な気がしますが…。

 

ミュージカルだけどニューシネマの趣もあるのでこのシリーズ思い出しました。
併せて見たい。

www.nhk.jp

「NTL レオポルトシュタット」

2022年に日本版公演があったことでも話題になっていた作品の英国版の上映があったので見てきました。www.ntlive.jp

 

始まりは1899年ウィーン、まだ帝国の栄華の時代に生きるユダヤ人一族の過越しの祭りの日。そこから56年かけ描かれる成長する子供たちと年を取る大人たち、結婚、出産、不貞それに戦争。ツイッターでストーリーについてあまり語る人がいないのが不思議だったのですが、こういった家庭劇としてはありふれた姿をしている上で随伴する差別の描写こそ出色の作品だったので納得でした。
代替わりと時代の変遷の展開のさせ方としては朝ドラっぽさもありかなり好きです。

 

市民として職業を選び生きられた時代にあった頃でも社会に引かれていた薄い点線が段々と濃くなり実体を持ち壁になって追い詰められていくような差別の広がり。そもそもワルツを踊っていた時代にも蔓延っていた蔑視があり表明することすら憚らなくなり虐殺に向かう。すり減らされた一族と生き残った者の選択。全部がしんどくのしかかって、その先、今見ている自分たちを待つ時代について思わずにはいられない辛さがありました。

そんな中で一族が集まる雰囲気についてはポジティブにもネガティブにも見せない形を取っていてすごくバランスの冴えた印象もあります。お正月っぽいなという気持ちにもちょっとなったり。

 

たまたまWOWOW放送していたエリザベートの原語版がよかった余波でオーストリア史について一冊読んでいたので多民族国家の時代からWWⅡまで予習した通りで面白くあったのですが、それでも情報が頭に入りきらなかったり字幕を流してしまった箇所があるので全編しっかり堪能しきった気がしないのが勿体なく、せっかくなら日本語上演も見てみたいなと今更思うのでした。

(パンフで確認したらグレートルがユダヤ人でないこととヘルミーナがオットーと結婚したかどうかはわかってなかった)
再演よろしくお願いします…。

「ファンタスティックス」こどもたちの世界は二子玉

(シアタークリエ 11月4日18:30回 演出:上田一豪)

大変素敵でした。
心が16歳になって劇場を出たので素敵な場所でコーヒーを飲みたくて仕方なかったが有楽町まで戻ったらやかましくてときめきも消えていた。若い時間は儚い。

 

あらすじは以下の通り(公式サイトより引用)

隣同士に住んでいる若いマット(岡宮来夢)とルイーザ(豊原江理佳)は、恋人同士。ルイーザの父・ベロミー(今拓哉)とマットの父・ハックルビー(斎藤司)が仲を引き裂こうと築いた壁越しに、二人は日々語らい、将来を誓い合っている。そこへ現れたのは、怪しげな流れ者のエル・ガヨ(愛月ひかる)、老俳優のヘンリー(青山達三)、旅芸人のモーティマー(山根良顕)。彼らの秘密の企みによって、幸せだったはずの二人の関係は少しずつ変化していって……

これは、誰もが経験する、恋と、人生の、ほろ苦い物語。

シアタークリエ ミュージカル『The Fantasticks』

 

楽曲も脚本も古典らしいあっさりした作りだけど、ピピンが如きメタな仕掛け満載で進みいささかのトンチキ感を乗せながら真摯に若い二人の恋と人生を見守るお話で大変に良かったです。あこがれを運ぶ教養は全部シェイクスピア

また今回二子玉川おしゃれスポットみたいなほっこりしたセットも目玉と言えましょう。演出の上田さんの劇団Tiptopの雰囲気もあるのかな。終演後撮影タイムもあり大変楽しめました。バンドは見えているし演者も後ろにずっと控えて状況を見守っている雰囲気も楽しく、舞台上に出しっぱなしの小道具を狂言回しエル・ガヨが手際よく使ってまたかっこよさを引き立てていて…全部楽しかった。

 

事前に音源で聴いてたルイーザのソプラノ、実際踊りもついてほんとにヤバかったですね…。タイタニックで3人のケイトの一人を演じてた豊原さん可愛らしくて地に足をつけようのない不安定を抱えた女の子姿が見事でした。

愛月さんのエル・ガヨさまは…あの…大変なものを見てしまった……決闘おかわりしたい…あんなに体張ってくれて…。合間に放つナレーションの含みも良い…一ヶ月経てば一ヶ月歳をとる…。
事前にどういった演目か調べた時エル・ガヨが今回女性と聞いてルイーザの心変わりが「青春の一時のこと」のように見えてしまったら嫌だなと思ってたけど、決してそうはならない作りに仕上がっています。エル・ガヨが途中からつける”髭”が示すものも性別かもしれないし“ルイーザの考える悪さ”の象徴にも見えて最後まで性別不明。見事でした。
場面としてはあとルイーザがエル・ガヨに詰め寄ったのに見つめ返されて何も言えなくなるとこが楽しすぎて…オペラグラス忘れなくてよかったです…。

旅芸人二人とエル・ガヨのシーンもめちゃ好き…役者根性と共に年老いたあんな感じの老人に弱いのです。マットはピピンよりひどい目に遭っててびっくりした…あすこの演出他のカンパニーはどうやってるんですかね。影絵楽しい。

 

さて全体的に良かったのですが、マットとルイーザのラストシーンだけは唐突でぼんやり感じました。あすこで彼らがお互いに言う「辛かった」「寂しかった」はもしかして元々脚本上「父(元海軍)の重圧」と「母の不在の不安」に繋がっていたのではなかろうか…となるともうちょっと踏み込んでほしかった気もします。そもそもパパたち一見ひたすら無毒化されてるので…。

世界に対し自分を誇示したり特別だと思わずにはやっていられない怯え。”安全な外の世界”としてその怯えのまま走り出てしまうのを和らげたのがエル・ガヨの役目だったのかな。

どこまでも優しい、(優しすぎて誰も傷つかない仕上がりになってしまいがちまである…)上田さんの演出にぴったりな作品でした。

「生きる」命短し誰がだって?

「生きる」見てきました。

 考えたらこの規模のグランドミュージックを見るのが再開してから初めてでそのことに泣けてしまった。私はグランドミュージカルのグランドなところを愛しているので…散々迷ったけど見に行って正解でした。

 細部が見事で美術もステージングも楽しい!が一番大事にされてる感じ。特に女性が最初から生き生きと描かれていて気持ちよかった。というかウジウジカチコチしたぶつかりを避ける男達との対比として女性たちの政治活動ですからね。そうなるよね。
 2018年の作品でセックスワーカーの群舞があるのかーと思いつつそこもまぁ嫌味にならず80年代のヒット作のような“悲哀”をわざわざ持って来ずという点は可です。彼女らの雇用主と登場するシーンについては難しいとこではあるけど。とよだって描いてないだけで実際はもっと周りから言われてるわけでしょう。工場の前での本人の反応や息子の言葉にも現れてる。ただ舞台上で描かず留めてるこのバランスは良かった。

 

 ただ話の大枠が昭和男のファンタジーというのが多分にあって評価としては…めっちゃ悩むんですよ…。
 とよちゃんも小説家さんも妖精なんだよね…。言葉を尽くさずに理解してくれる、黙ってやった行いを自分の手柄だと称えてくれる…そして息子には父の存在を知らしめることができる。日本の男社会を成立させて抱え続けてるマスキュリニティの問題への切り込みはしないで済ませるんだなぁというのが素直な感想です。前半あれだけ生き生きした“女性たち”を描けたのに“1人の男だけ”の浪漫に収斂してってしまったのが残念でならない…。せめてエピローグにとよちゃんの回収だけでもしてくれたならまた違っただろうな…。

 

 それでも女性をあれだけ悪く描かないで生き生きさせるのに徹している作品はなかなか無いし楽しめたのでことさら批判する気持ちは私には無いです。私は女性描写が良ければ強く不快でもないんだなとわかってきた。
そして日本的な美意識を取り入れたこういう美術で、黒ずんだスーツの男たちの群舞があって、日本が舞台の時代物グランドミュージカル(ミソジニー抜き)が作れるのならこの先が楽しみな次第ですのでまたチャレンジしてほしいな。


 だって冒頭小説家のビジュアルだけで5億点つけたよ?!!!

 

youtu.be

「violet」 お前に都合のいい神様はいなかったが

9/5 「violet」 東京芸術劇場 マチソワ

奇跡的に昼夜が取れたのでWキャスト鑑賞。席も1階と2階から。

普段あまり2度前提に見ることはしないのですが今回は正解でした。あらすじから「傷を追った女性が一人旅に出てテレビ伝道師に会いに行く」なので多少の不穏は感じていましたが、正直ここまで難解な作品だとは思わなかったです。面食らう部分はあったものの、ほっこりした宣伝からは想像できない刺激がありました。

 

f:id:minchin:20200906130628j:plain傷を認めることの物語だったのかな。バイオレットとモンティとフリック、三者三様のコンプレックスと美点を互いに指摘し深く深く交わって行く。「自分には傷があるから差別される人の気持がわかる」と傲慢な考えを隠さず黒人フリックを傷付けてしまうバイオレット。自分の都合のいいときだけ女の子に優しくして二度と会えないかもしれないバイオレットもそれでいいと思っているモンティ。他人の目を気にしてバイオレットの前へ踏み出すことが出来ないフリック。それぞれが指摘し合い、内に向かって行く。

自分のであれ他人のであれ、傷を見つめる勇気を持つことは完全であることを諦めるという意味でもある。万能の伝道師様をすがりついに会えたと思った途端にその力はただのショー、癒やしは幻想だったとわかる。

だから自力で奇跡を祈ったバイオレットがその先に見たのは、それまで見えなかった父の”傷”。娘の顔に人生を左右する傷を作ったという後悔。


一度ではしっくり来なかったけどそう理解するとかなり面白いシーンでした。
伝道師も「トラックの荷台で始めた活動が大きくなった」「KKKとも戦った」という言葉から根っから胡散臭い活動でもなかったのかなと思うんですよね。「お前に都合のいい神様はいない」という言葉そのもの。それが父と入れ替わりに現れるという…。

 

この辺面白くはあるけど初回で感じた妙な違和感の理由でもあるのかなとも思います。父と娘の、そして男女ロマンスのお話なんですよね。計算問題と称してカードを教えたときの言い分も「男の相手をするのに困らない」。父は後悔していたけれど、それでも強く生きられるように毎日育てた、という答えにバイオレットが自力で(少女バイオレットが去って以降は実際の過去では無いと思っています)辿り着いたのは感動的だけど、生きていくことに対して男性に愛されることの重点がなかなか強いような…。

 

その後の自分の望むままの奇跡が起こったと思い込む姿もちょっと飲み込みづらかったけれど、外観の、しかも生まれつきではないというコンプレックスがどれほど簡単でないかを描いたと思えばあの対話ですんなり終わらせてはいけないのもわかる気がします。


しかしモンティがベトナムに行くという悲惨を示唆して終わる部分は…なんなんだろう。ベトナムに去る前に過ごす相手として選んだだけだったというところにも彼の理解していなさは残っていたので…。

 

 

ストーリーに関してはそんな感じですけど、短縮版だったことも影響してる部分あるかなと思うのでいずれ本来上演される予定だった形で見られるといいですね。
いつもあまり取らない2階から見たら理解度が違って驚きました。一度目の1階席からだとバスで老婦人が席を変えた理由もフリックが来たことからだということもわからなかったしで。(集中力の問題かも…)


演出面は、冒頭のキング牧師のスピーチ映像に立ち上がるの3人の黒人役俳優からこれは差別に向き合う作品であると示唆して始まるのが良かったです。もちろん黒塗りは無し。時代ものなので髪型とメイクである程度作れるところはあるなあと見てて思いました。でもそれ以上に雄弁だったのが”歌声”であるのに感心しました。

メンフィスの場面でさっきまで上品な老婦人だった島田歌穂さんが娼婦(だよね?)になり渋く寂しいブルースを、昨年ファクトリーガールズでポップス系の明るい歌声で気に入っていた谷口ゆうなさんはゴスペルナンバーをがっつり歌い上げていた。(エリアンナさんはすみません、今までわりとブラックミュージック系の歌唱しか聞いてなくて…相変わらずパワフルで素敵でした)

もちろんミュージカルの作品内で常にジャンルが厳密なわけでもないし歌唱法がきっちり分かれているばかりではないと思うのでこれが全てでは無いとは思いますが、”見た目”の問題として黒塗りが話題になりがちな昨今ですが演技の面でも被差別民として描けていた上でさらにこういう演出が出来ていることが印象的でした。

 

 

個人的にグランドホテル以来梅芸のトム・サザーランド関連企画作品は楽しみにしているので、今回の上演決定がまずありがたかったです。これからもいい企画が続くといいなぁ。

なにしろまず、コンサートでない本編上映が叶ったことに感謝して、一日も早く劇場が以前のように戻りますように…。

2017年にはいからさんが通る道。

劇場版はいからさんが通る、上映初日に見てきました。

キャラデザイン発表時にがっかりした声を隠せなかった原作ファン、それもあまりに不出来なTVアニメ(CS放送)から入った自分です。結果を言おう。

大 成 功。

心配された絵柄は見事な原作のブラッシュアップで杞憂そのもの。それよりも大事なこと。原作が不朽の名作なのは丹念な時代描写による”20世紀初頭”ものであるからだと思います。それ故あまりにスケールが大きく実写化も困難になってるこの大作の最新アニメ版は何よりそれを裏切らなかった。

明治維新を経て東京へと変わり西欧化が進む町並み、平塚らいてうを目指し自由恋愛に憧れる女学生、華族と旗本の遺恨、浅草のオペレッタ、和装と洋装の入り乱れる人混み、男尊女卑、先の戦争、幅を利かせる軍人、職業婦人、米騒動に打ち壊し…
まるで朝の連続テレビ小説のようなダウントン・アビーのような。これら元々全て原作に入っている要素です。どれも有耶無耶にせずきちんと描き上げたことに心から感謝したい。言いますからね「原始、女性は太陽であった」「ううむ、なんたる男尊女卑」。2017年の今、1910〜20年代ものをやるということはそういうことなんです。苦い時代を、今も続く理不尽を見つめ直すことがなければ、服装や暮らしをなぞって上辺だけのロマンスを描くなら「はいからさんが通る」である意味がない。というか時代物をやる意味さえないんです。規定のロマンスさえぶち壊してやろうと旧い世界を引っ掻き回すヒロインがいて、それを期待し、見守り、その自由へ愛を捧げることを決めた男性たちがいる。その男性たちもまた軍国主義の時代のつまらない意地に翻弄されている…。「今」見たい物語を上手くやってくれたと思います。

 

美術も素晴らしかった。冒頭の東京の変容で東京駅建設の様子が描かれたのでいきなりやられました。気合を感じる…。花村家の日本家屋、伊集院家のやりすぎなくらいの洋館、浅草の町並み…そして日露戦争満州米騒動。なかなか映像化されない時代が描かれているわけで、それだけでも満足度高いです。これはもしかして世界名作劇場のノウハウなのかなーと、そう思ったらエンドロールで日本アニメーションの名前見て泣けてました。実際どうなのかはわかりませんが。

衣装もいいですね。中盤からの紅緒さん変化が素晴らしいのは原作通りでした。洋装だけでなく着物の上の道行きとか細かくていいよね。この辺は後半も楽しみ。(少尉が旅立ってからの舞踏会は完全カットなので1880〜1920年代のドレス描写が省かれたの残念だけどただのギャグパートだからいいです…)(おばあさまの鹿鳴館時代のバッスルドレスとアール・デコが使い分けられてる素晴らしいシーンだけどさ)

脚本はそら90分で厚めの文庫2巻分なので序盤多少ダイジェスト的です。画面もアップの多用で少々頼りなくて大丈夫かなーと思ったら美作画の少尉が引き締めてくれるパターンが続くんですが、後半はこれにやられた。九州に行く頃にはみんな少尉が大好きになってるんですよ…そして紅緒さんの「大好き」で紅緒さんの可愛さにも落ちている…。ロシアに行くと聞いて「少尉行かないで!!」って思わなかった座席の人いないと思います…凄いわ…。
ギャグパートを大きく削るためのコミカルな省略もいいです。こういうのが見たかったんだよ旧TVアニメ版…!でも旧版のよかった部分も上手いこと取り入れてるんですよね。「よいなよいな」とか五七調のナレーションとか。それを分かってくれてたのも嬉しいところです。
役者さんはもちろん文句ないです。日本男児的ないかつさは少ないものの少尉の王子様性に応えてくれた宮野真守氏、紅緒さんの可愛さ力強さを引き出して素敵なエンディングテーマも歌っていた早見沙織さんには何か賞をもらってほしいくらいの見事さでした。

しかしまったく粗が無いわけではないです。前述したとおり序盤の画面はバストアップとアクション以外は不安定気味ですし、台詞に頼り過ぎなきらいもある。

原作通りの「生粋の日本人でもないくせに」という台詞なんかそのままやるべきだったのか、考えての採用と思えなかったことなど疑問もあります。

 

 

後半の怒涛を楽しみに思うと時代に翻弄される、という言葉がぴったりなこの70年代王道少女漫画。「今見たい」物語が70年代まで遡らないと引き出されないのかなと少々苦く思ったりもしましたが、そうではないですね。「はいからさんが通る」は高慢と偏見若草物語あしながおじさん等が大切にされ続けるのと同じように、時代のどこかで思い出されるべき堂々たる古典として君臨していた。ロマンスは王道ではなく普遍。こんないい形で再び愛される機会を得たことにどこまでも感謝したいです。

後編も期待しています。