Hunnigan, Sloane and Minchin

グランドミュージカルとか映画とか

「ムーラン・ルージュ!ザ ミュージカル 」くらえこの正拳突きの愛及びトンチキ


(帝国劇場 7月22日 18:00 演出:アレックス・ティンバース)

やられました。
絶対にBW製こまけぇこたいいんだよのトンチキパリが出てくると思っていたんですよ。
大体そうなんですが、実際にお出しされたのは「帝国劇場のパリ」でした。

私たちの帝劇のパリ

日本のグランドミュージカルの入り口に「レ・ミゼラブル」を挙げる人は結構な数と聞きます。私もそうです。パリの歴史の一つとして同じ場所が舞台の演目であればあの貧困と闘争、正しさを信じる物語を地続きに思い出すことは多い。でもヒットチューンのグルーヴでアゲてくジュークボックスミュージカルと結びつくとはまったく思わなかったんですよ。

ロートレックサンティアゴ、クリスチャンの3人のボヘミアンが真実、美、愛、自由と語るたびに、それらの権利を訴える度に間違いなくあの貧困のパリと地続きだと思える頑なさがあって、テンアゲのうちにあの心意気にボコボコにされていました。
それに加えてここが30年ペースを絶やさず革命の歌を歌った帝国劇場であるということもある。革命のフォーメーションに学生として戦った男の面影に(ロートレック上野哲也さんでした。チャーミング。)、象が置かれたのは孤独な少女の住処だった場所。ごく個人的な思い入れなんですけど、とにかくここで肋骨が半分折られました…。

愛ってなんだ

前評判としては「お話は別に」です。たしかにあまりにもありふれた恋愛悲劇。
でもそれを叩きつけるようにラブソングが畳み掛ける!襲いかかる!感情の行き先はこっちが説明するから!と言わんばかりに演出が心をごっそり持って行く。毎度こういうのに触れては同じこと言うんですけど、古典的な構図のロマンスでもそれを“信じさせる力”ってこういうのだと思うんですよね。
そしてジュークボックスとしての音楽のフル活用も納得。力の限り揺さぶられてなんだか心地よく泣けている。楽曲の勢いのある部分をとにかく使った吸引力凄いんだ…。

シーンとして特に抜き出すと印象的なのは1幕ラストのクリスチャンがサティーンへひたすら愛を捧げ続ける歌歌歌。あまりにもまっすぐに若さ、純粋さの煌めきが目の前で弾けて叩きつけられるのがちゃっと凄くて…こんなシンプルに泣けることあるかよ…あるんだ…と呆然としたまま幕間のトイレに向かいました…。甲斐翔真さんの今持てる輝きが存分に生かされてて、客席にサティーンの戸惑いを追体験させてくれる様はちょっと凄かった…で、そこから一転したCRAZY ROLLINGの狂気もまた良くて。
もう半分の肋骨もベコベコでしたね。救急車を呼んで。

演劇・芸術への敬意

で、ここまで熱く胸打った割に、ラストは「こういうお話でしたとさ」で終わる演劇らしいそっけなさもいいんですよね。あんまりに語り尽くされた悲劇でもあるし、これはあくまでクリスチャンの回想であり”終わったこと”。
ただセリフで語る以上に舞台の端々に演劇や芸術への敬意があって、バックステージものになっていったのは意外なのだけどなるほどこれがコロナ明けにトニー賞の目玉になっていたのもわかるな…と。
終盤、舞台にロートレックの絵がかかる演出に音楽のテンションのままに泣けちゃったんですよね。今こうして世界中で娯楽演劇がかかっていることの祖なんだぞって言いたげで。ロートレック自身も(トンチキ時空とはいえ)大変な人生なわけですしね。芸術に尽くすこと自体理不尽でままならないものが付き物かもしれない、それでも。

そんなわけで

そんなわけで大変満足でした。もう一回は行くんですが正直足したい満足度…。
平原綾香さんのミュージカルを気がついたら全部見てるんですけど、事態に振り回されながらも自分の道を選ぶ演技がどんどん好きになります。あとジドラー松村さんもキュートで素敵でした。お声が好きだな。

少し惜しいのはやはり、”みんなが知ってるヒットチューン”でもその曲の背景の知識が完全でない以上受け取れる情報は半減してるんだろうなってことです。ダイアモンドは永遠、と聞いてマリリンの悲劇性くらいはついて行けても、Chandelierがアルコール中毒の歌だと知ってても、多分読み込めないものが遥かに数多くある。
この辺はもう東宝が和製ビッグヒットジュークボックスミュージカルを帝劇でかけてくれないとどうにもならないかもしれないですね。やってほしいなー…。