Hunnigan, Sloane and Minchin

グランドミュージカルとか映画とか

太平洋序曲追記のこと

前回記事はこちら

「太平洋序曲」よどみなくよどみの中へ - Hunnigan, Sloane and Minchin

 

これを書いてから2回追加を見た上で補足。

(ツイートのまとめになります)

 

日本語歌詞を音のシンプルさで突き詰めてくと

おそらくEテレミニマリズムに向かうと「わたしは真吾」を見て以降考えていることだけど、ソンドハイムの日本語化で既になってるとは思わなかった。こういった音と歌詞のシンプルな美しさに見合う演出の作品はそうそう見ることが無くそれだけでももの凄い価値を感じる公演でした。
あの円形のスクリーンが本当に出色の出来で、俳句合戦をして歩く中、陽が落ち暗くなった林の道に現れる提灯行列、永遠に忘れたくないですね。

狂言回しを考え直してみたけど、

「美術品コレクター」として存在する以上あのビジュアル“古典美の世界”を取り仕切る者としてはその中で起こる歴史上の醜い事象はその美的価値の前で“無い方が都合のよい物”なのでは。だから最後は権威を語り序曲のその後本筋を握り潰し未来は空虚な明るさに語る…。と、極端に意地の悪い見方で書いたけどそこまで言わずとも「この事実はあなた方にとってどういう価値を持ちますか」という提示をする存在として「美術コレクター」なのかなと思います。

NEXTについて。

前半「アメリカと同じように台湾韓国満州そして中国も開こうではないか」という宣言が高らか過ぎて本当に気分悪くなるし踊る2023年の服を着た人々そして境界を失った我らは愚かな末裔…と初回はスクリーンが見えておらずその印象で止まっていたのですが、後半ギャラリーの男が降りてきて語る「かつて、外国を拒否する国があった」からの一連は確かにポジティブに見せ過ぎてる感がありなるほど険しいな…と思ったのは確かです。ただ、一度ここまでの延々続くマチズモの共鳴を味わった気分がぶり返すと入管や技能実習生がよぎって日本◯ね〜!!!と感じたのも確か。

それから狂言回しの最終形態「我こそは◯◯◯◯」って、つまり「こんにちは◯◯ラーです」くらいの聞こえ方しないといけないんだよね…その後の台詞で何が言いたいか察するだけでは済まないほどに受け取りにおそらく本国と差がある(というか同じ回見た後面談で理解した)では流石に難しい…。

実力者がしっかり映える作品になったこともあり、大変意義のある公演になって良かったなと思いつつ、日本上演だからこその難しさが最終的に出てしまったようで惜しいところです。

 

演出家のこちらのインタビューは東京公演を踏まえての内容で大変面白かったです。ジョン万次郎のあり得ない改変についても一言あるので是非どうぞ。

www.musicaltheaterjapan.com