2017年にはいからさんが通る道。

劇場版はいからさんが通る、上映初日に見てきました。

キャラデザイン発表時にがっかりした声を隠せなかった原作ファン、それもあまりに不出来なTVアニメ(CS放送)から入った自分です。結果を言おう。

大 成 功。

心配された絵柄は見事な原作のブラッシュアップで杞憂そのもの。それよりも大事なこと。原作が不朽の名作なのは丹念な時代描写による”20世紀初頭”ものであるからだと思います。それ故あまりにスケールが大きく実写化も困難になってるこの大作の最新アニメ版は何よりそれを裏切らなかった。

明治維新を経て東京へと変わり西欧化が進む町並み、平塚らいてうを目指し自由恋愛に憧れる女学生、華族と旗本の遺恨、浅草のオペレッタ、和装と洋装の入り乱れる人混み、男尊女卑、先の戦争、幅を利かせる軍人、職業婦人、米騒動に打ち壊し…
まるで朝の連続テレビ小説のようなダウントン・アビーのような。これら元々全て原作に入っている要素です。どれも有耶無耶にせずきちんと描き上げたことに心から感謝したい。言いますからね「原始、女性は太陽であった」「ううむ、なんたる男尊女卑」。2017年の今、1910〜20年代ものをやるということはそういうことなんです。苦い時代を、今も続く理不尽を見つめ直すことがなければ、服装や暮らしをなぞって上辺だけのロマンスを描くなら「はいからさんが通る」である意味がない。というか時代物をやる意味さえないんです。規定のロマンスさえぶち壊してやろうと旧い世界を引っ掻き回すヒロインがいて、それを期待し、見守り、その自由へ愛を捧げることを決めた男性たちがいる。その男性たちもまた軍国主義の時代のつまらない意地に翻弄されている…。「今」見たい物語を上手くやってくれたと思います。

 

美術も素晴らしかった。冒頭の東京の変容で東京駅建設の様子が描かれたのでいきなりやられました。気合を感じる…。花村家の日本家屋、伊集院家のやりすぎなくらいの洋館、浅草の町並み…そして日露戦争満州米騒動。なかなか映像化されない時代が描かれているわけで、それだけでも満足度高いです。これはもしかして世界名作劇場のノウハウなのかなーと、そう思ったらエンドロールで日本アニメーションの名前見て泣けてました。実際どうなのかはわかりませんが。

衣装もいいですね。中盤からの紅緒さん変化が素晴らしいのは原作通りでした。洋装だけでなく着物の上の道行きとか細かくていいよね。この辺は後半も楽しみ。(少尉が旅立ってからの舞踏会は完全カットなので1880〜1920年代のドレス描写が省かれたの残念だけどただのギャグパートだからいいです…)(おばあさまの鹿鳴館時代のバッスルドレスとアール・デコが使い分けられてる素晴らしいシーンだけどさ)

脚本はそら90分で厚めの文庫2巻分なので序盤多少ダイジェスト的です。画面もアップの多用で少々頼りなくて大丈夫かなーと思ったら美作画の少尉が引き締めてくれるパターンが続くんですが、後半はこれにやられた。九州に行く頃にはみんな少尉が大好きになってるんですよ…そして紅緒さんの「大好き」で紅緒さんの可愛さにも落ちている…。ロシアに行くと聞いて「少尉行かないで!!」って思わなかった座席の人いないと思います…凄いわ…。
ギャグパートを大きく削るためのコミカルな省略もいいです。こういうのが見たかったんだよ旧TVアニメ版…!でも旧版のよかった部分も上手いこと取り入れてるんですよね。「よいなよいな」とか五七調のナレーションとか。それを分かってくれてたのも嬉しいところです。
役者さんはもちろん文句ないです。日本男児的ないかつさは少ないものの少尉の王子様性に応えてくれた宮野真守氏、紅緒さんの可愛さ力強さを引き出して素敵なエンディングテーマも歌っていた早見沙織さんには何か賞をもらってほしいくらいの見事さでした。

しかしまったく粗が無いわけではないです。前述したとおり序盤の画面はバストアップとアクション以外は不安定気味ですし、台詞に頼り過ぎなきらいもある。

原作通りの「生粋の日本人でもないくせに」という台詞なんかそのままやるべきだったのか、考えての採用と思えなかったことなど疑問もあります。

 

 

後半の怒涛を楽しみに思うと時代に翻弄される、という言葉がぴったりなこの70年代王道少女漫画。「今見たい」物語が70年代まで遡らないと引き出されないのかなと少々苦く思ったりもしましたが、そうではないですね。「はいからさんが通る」は高慢と偏見若草物語あしながおじさん等が大切にされ続けるのと同じように、時代のどこかで思い出されるべき堂々たる古典として君臨していた。ロマンスは王道ではなく普遍。こんないい形で再び愛される機会を得たことにどこまでも感謝したいです。

後編も期待しています。